国民投票法案成立!

国民投票法案が成立してしまったので、以前学校で書いたレポートを転載しておきます。
早めに、もう少し書き直したいのですが…。
あと提出したデータがどっか行っちまったので、残っている一部のみ抜粋することになりました。




安倍晋三が目指す「美しい国」とは何か


これまで大学の授業で、法や政治に触れることはあった。
法女性学や日本思想史などの授業では、先生方の政治や歴史への考え、
現在の法律は日本の人々や他の国の人々にとって
どのような問題点を残しているかなどを知ることが出来た。
しかし私はこれまで直接は日本の政治家の書いた本を読んだ事は無かった。
レポートを書くにあたって、今回のテーマ研究で主に扱い、
現在の日本の首相でもある安倍晋三氏の書いた本「美しい国へ」を読んだのだが、
私が普段読んでいる小説や専門書などとは随分書かれ方が違うので正直驚いた。
そこに書かれていることは私自身の政治・歴史認識とは大分異なるものであったし、
偏った事実が書かれているように思った。
安倍晋三氏は確かに学者ではないが、一国の首相である。
自分の主義主張が正当である事を示す為、あるいは見せかける為に、
正確でない引用を行ったり、本を誤読したりするのは許されることなのだろうか。
これを読んでまず頭によぎったのは
「政治の世界とはこういうものなのだろうか」
「歴史は一部の権力者に利用されるために存在するのだろうか」ということだった。


非常に大雑把なくくりではあるが、
わたしは所謂日本の保守派は「お金持ち」であり
「現在の支配体制において得をする人々」であるという印象を漠然と持っていた。
そして革新勢力については「現在の支配体制になんらかの問題や不満を抱えている人々」であり、
「多くの場合その国における少数者であり、
自分たちの抱える問題を政府に訴えようと、
あるいは自分たち自身の手でなんらかの手段で解決しようとしている」
「そしてそれは時に支配者側にとって不都合なものになる」という印象を持っていた。


安倍晋三氏は自分は国主体の考え方をしていると言う。
それは国が人々の権利を保護するというより、
むしろ国が人々を支配し権利を与えるという考え方であるように私は感じた。
すこし前のニュースでは一定以上の年収をもつ人々の残業代を一切なくすという
「ホワイトカラー・エグゼプション」が話題になった。
この法律は「残業が行われる理由を労働者の自己管理の責任に帰することは、
もし労働者が過労死しても企業ではなく労働者自身のせいになる」
といった理由から採用されなかったが、
首相自身はその理由を「国民の理解が得られなかった」と述べていた。
私がニュースで見た限りでは、この法律に反対する人々は、
この法律が採用された場合自分たちが、
あるいは該当する労働者たちがどういったことになるかを充分わかったうえで、
反対しているように見えた。
自著である「美しい国へ」に繰り返し出てくる「担保」という発言などからも
彼の国主体の考え方がいったいどういうものなのか伺える。


また安倍晋三氏は「世界市民」という言葉を嫌い「ナショナリズム」という言葉を好む。
ナショナリズムと人種主義は
―「自然」のように生まれつきで自分では選択できないもの―
「血」や「育ち」「肌の色」「性」などに重きをおく点で近いものがあり、
これには身分意識的なもの(それも支配者側にとって都合のいい身分意識)が伺える。
支配者や階級上位者は、自分の身分の高さの理由を
「自分は神によって選ばれた特別な者」であるからと考える。
彼は政治家の家系に生まれた階級上位者であり、
そういった背景が彼を「保守派」に属することが
自分にとって正しいという考えを持たせたのかもしれない。
「伝統」や「長い歴史」を好むのは彼自身が階級上位者であるからのように思われる。


その結果として、弱者や低階級者の視点を欠いているように思われる。
彼はドイツのようにかつての侵略戦争の被害者達、
従軍慰安婦戦災孤児などのアジアの被害者に保障をせず、
歴史的責任を果たそうとはしない。「歴史は歴史家に任せておけばよい」という。


国益を優先し、現在の憲法が日本の支配者層の手によってではなく、
アメリカのGHQが作り上げたものであるから、
日本は本当の意味で独立していないのだとする。
またアメリカに代表される自由と民主主義という価値観を広げるというアメリカ帝国主義
それと相容れない価値観を持つ国とは付き合えないという文化相対主義的考え方を持っている。
このグローバル化の時代にそのような考え方を持っていることは、
人種や性など世界レベルでの格差を広げることになるのではないか。
また東アジアに諸民族の対等平等な世界を創造するという民族としての課題に無関心であり、
国益優先のためか、経済的進出による抑圧によってリーダーになることには関心がある。


かつて中曽根総理大臣は日本は「単一民族国家」であると発言した。
これはアイヌ民族の存在を省みないものだった。
世界でこれからこのような出来事・事件を起こさないためにも、
人々の多様性を認める必要がある。
従軍慰安婦南京虐殺事件の存在を認め、
正式に謝罪や補償を行わなければ日本の「戦後」は終わらないのだ。 
戦争をやめた当初、多くの日本人は「戦争はもうごめんだ」としか思っておらず、
当時は被害者意識しかもっていなかった。
にも関わらず今になって自分の国の尊厳を傷つける自虐史観はやめようなどというのだ。

彼のいう「美しい国」とは、一部の権力者が得をするという封建制
かつての戦前の日本そのものではないだろうか。


―参考文献―

安倍晋三美しい国へ」2006年7月20日 文春新書
高橋哲哉『汚辱の記憶をめぐって』「戦後責任論」 2005年4月10日 講談社学術文庫