「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」感想



この映画は結局ノスタルジー批判の話だと思う。
昭和天皇崩御美空ひばりの死、1989年を機に時代は変わった。
そして1991年のバブル崩壊で、高度経済成長以後も続いた、安定成長も崩壊する。
90年代以降、日本の景気は低迷し、
宮崎ツトムの殺人事件、オウム真理教などおかしな事件があいつぎ、
日本はいまなお、先の見えない暗い時代が続いている。

70年代は日本人が未来を信じていた時代である。
日本は世界有数の経済大国に成長し、70年の大阪万博は人類の進歩と調和をテーマとしていた。
万博には月の石が飾られ、科学への信頼と肯定も残っていたのではないか。



話は70年代の大阪万博から始まるのだが、最初は状況のつかめない展開になっている。
すぐに、この大阪万博は、映画のセットであることが分かるのだが、
この設定は後の展開につながってくる。



オトナ帝国というのはオタク帝国なのではないかと思った。
年齢を重ねると、納税など社会的義務は課されるが
「大人」というのは、肉体的成長によって、なれるものではなく
精神面での相当な覚悟がないとなれないものなのである。

家事や仕事を放棄し、家族を捨て、(=大人、一人前であることをやめ)
子供時代の過去の遊びにふけり、
ドームの中の、すでに終ってしまった過去の足跡(型)に過ぎない、
70年代の世界でしか生きていけない悪役達は、
自分に都合のいい世界(部屋)から出て行けない、オタクのように感じた。

世界のオタク化(人間の意志による、過去の時間の逆流)に失敗した彼らは、
最後に自分たちが作り出した過去の世界(ドーム)に向かって自殺を計ろうとするのだが、
鳥に邪魔をされて失敗する。

私はこのシーンで宮崎駿の「風の谷のナウシカ7巻」ナウシカのセリフ
「私達は血を吐きつつ繰り返し繰り返しその朝を越えてとぶ鳥だ」
というセリフを思い出した。ナウシカいわく「生きることは変わること」である。
他にも解釈はあると思うが、
生命の肯定のメッセージがこめられたシーンであることに間違いはないと思う。

この映画は20世紀少年などともテーマが似ていると思う。


野原一家はドラえもんサザエさんとは違い、常に今現在の世界に住んでいるように思う。
クレヨンしんちゃんといえば92年からテレビで始まったアニメだが、
この映画では幼稚園の梅先生がセーラームーンごっこをしているので
今の20代前半〜後半の子供時代を参考にしているように思う。